Story

Shoes × Culture

LOOK BACK ERAカート・コバーンはなぜJACK PURCELLを選んだのか。新たなスタイルを提示したグランジスターの肖像

Photography James Crump
Text Kenji Kubo
Illustration Nanako Shinomoto
Edit Kunihiro Miki

時代が新しい音楽を作りだし、音楽は新しいファッションスタイルを生む。私たちが普段なにげなく身にまとっているアイテムの一つひとつは、そんな時代の落とし子とも言える。時代を振り返り、音楽とファッション、そしてシューズに焦点をあてる本企画。第1回に取り上げるのは、1987年から1994年まで活動したシアトルのロックバンド、ニルヴァーナのフロントマンだったカート・コバーンだ。音楽だけでなくファッション界にも大きな影響を残した彼のアーティスト像、ファッションアイコンとしての当時の様子を、国内外の音楽ムーブメントの勃興を現場でみてきた音楽評論家、久保憲司が綴る。

すべてを作品にしてしまうマジック

ニルヴァーナというバンドのボーカリスト/ギターリストのカート・コバーンについて、ほとんどの人は、ショットガン自殺をしたくらいの認識くらいかもしれない。しかしカート・コバーンと同時代を生きた人間にとっては、彼はどんなロックスターよりもかっこいい存在で、パンクという音楽というか思想、スタイルを実践していた人だった。彼が手にする物は、どんなものでも作品になるようなマジックにあふれていた。
「Sliver」なんて曲は、両親がコンサートに行くから、おばあちゃん家に一晩預けられただけの事を5歳児が絵日記のように書いただけの歌だが、もうそれだけで彼の家族が抱えていた問題、彼自身の孤独、苦悩など、アメリカの若者、いや世界の孤独な若者たちの気持ちを代弁しているように聴こえてくる。彼の表情、動き、ファッションを見ているだけでそう感じてしまっていた。今でいうとビリー・アイリッシュに同じ現象を見るかもしれない。

パンクの形骸化とグランジの誕生

カートがニルヴァーナを始めた頃、パンクは音楽のジャンルの一つになっていた。元々パンクは、言ってみれば都市のつまはじき者たちが隠れてこそこそと壁にグラフィティを書いていたようなものだったのに。パンクが現れた当時のメインストリームの音楽といえば、長髪でメイクした能天気な音楽ばかり。パンクはそんな音楽と違っていた。ラジオのスイッチをひねって、外に飛び出て、何か分かんないけど何かをやりたくなるような音楽だったのだ。そこにはDIY(ドゥ・イット・ユア・セルフ)の精神、セクシュアリティや人種的なマイノリティについてなど、彼らにとって身近な問題が歌われていた。
そんなパンクも、5年も経てば形骸化していく。パンクって髪を短く切ってツンツンにして、革ジャンを着て激しいサウンドを出せばパンク、というそんなあり方になってしまっていた。まさにパンクをやり出した子たちが嫌っていたヒッピーの音楽と同じような道筋を辿っていたわけである。

一方で特にアメリカでは、アンダーグラウンドに籠るパンクの潮流も生まれていた。パンクはニューウェーブとなって、MTVでミュージッククリップが流される、という現状を拒否したキッズたちは、自分たちでバンを借り、機材とレコードを積み込んでメジャーなバンドが来てくれないような街まで、例えお客さんが50人しか集まらなくても、ツアーをしに行った。そして自分たちで、手の届く範囲で、有機的なネットワークを作っていった。そして、その輪の中からグランジと呼ばれる一大ムーブメントを作ったのがニルヴァーナでありカート・コバーンだった。

なぜ彼らがそんなブームを産みだせたのか。それは僕がはじめに書いた通り。あの時代の若者の代弁者のような歌だったからだ。彼らの音楽には負け犬の音楽だったパンクが本来持っていた「屈折した思い」が確かにあった。

タブーをも飲み込んでしまうセンス

面白いのは、彼らの音楽的なリファレンスにはパンクが商業主義を否定したヘヴィ・メタル、ハード・ロックといった音楽も含まれていたこと。それは彼らの出身がニューヨークやロサンゼルスなどの大都会ではなく、シアトルなどの小さな都市だったことと大きく関係している。

ひとつには、メンバーを探すにもライブをやるにも、パンクと敵対するようなヘヴィ・メタルな奴らも巻き込んでいかないとシーンが回っていかなかった、という物理的な背景がある。でもそれ以上に、パンクという思想が否定した音楽も実はみんな本当は大好きだったのだ。しかし、当時のパンクの在り方や思想が邪魔をして、そんな音楽はタブーのような扱いになっていた。

ニルヴァーナの初期の曲に「エアロ・ツェッペリン」という曲がある。パンクが否定したスタジアム・ロックのバンド名、エアロスミスとレッド・ツェッペリンをくっつけただけの曲名だ。カートの歌唱や音楽性は、時にそんなハードロックバンドたちよりももっとヘヴィに荒々しく歌い、かき鳴らすこともある一方で、優しく奏で歌うことも大きな特徴だった。

静と動をうまく取り入れることによって、彼らはあの時代の、そして今も続く不安感に訴えかける音楽を作ったのだ。

誰も目をつけなかったジャックパーセル

彼のそうした既成の考え方や相反すると思われるようなスタイルを大胆に組み合わせてかっこいいものを作ってしまうセンスは、ファッションにも現れている。

それまでロックの靴といえばロンドン・ブーツのような革靴だった。それを変えたのはパンクバンドのラモーンズだ。彼らは僕らに、ハイカットのCONVERSEのALL STARがカッコいいのだ、という事を教えてくれた。そしてグランジスタイルのスニーカーといえば、カートが履いていた「JACK PURCELL」。ラモーンズがALL STARなら、俺は同じCONVERSEでも誰も履いてないJACK PURCELLだ、と思ったかどうかは分からないが、これも当時は誰も目をつけなかったものだった。
JACK PURCELLを履いて、革ジャンではなくおじいちゃんが着るような古着のカーディガンを羽織った姿は、誰よりもロックでパンクに映った。
そして彼は、パンクの一番のメッセージだったDIYの精神が、ニルヴァーナが売れたことによって実践出来なくなったことに葛藤し、“サビついていくよりも、燃え尽きた方がいい”と死を選んだ。
カートのファッションスタイルはのちに「グランジファッション」として世界中で流行し、今ではいちジャンルとして定着した。
JACK PURCELLを見ると僕は今も、カートが履いていたスニーカーだな、と思う。

Profile

久保憲司(くぼ・けんじ)

1981年に単身渡英し、フォトグラファーとしてのキャリアをスタート。『ロッキング・オン』など、国内外の音楽誌を中心にロック・フォトグラファー、ロック・ジャーナリストとして精力的に活動中。また、海外から有名DJを数多く招聘するなど、日本のクラブ・ミュージック・シーンの基礎を築くことにも貢献。著書『ダンス・ドラッグ・ロックンロール 〜 誰も知らなかった音楽史 〜 』『ダンス・ドラッグ・ロックンロール 〜 "写真で見る"もうひとつの音楽史 〜 』、『ザ・ストーン・ローゼズ ロックを変えた1枚のアルバム』等々。

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