Story

Shoes × Culture

LOOK BACK ERAロンドン・ユースカルチャー概史 ― モッズの誕生からスキンズ、パンクスまで

Photography ZUMA Press(amanaimages)
Text Kenichi Aono
Edit Kunihiro Miki

時代が新しい音楽を作りだし、音楽は新しいファッションスタイルを生む。私たちが普段なにげなく身にまとっているアイテムの一つひとつは、そんな時代の落とし子とも言える。時代を振り返り、音楽とファッション、そしてシューズに焦点をあてる本企画。第2回に取り上げるのは、1950年代の初期モッズから1970年代のパンクまでのロンドンのユースカルチャーだ。激動の歴史をひもとくのは、ビームスのクリエイティブディレクター兼BEAMS RECORDSディレクター、そしてDJ、ライターとしても第一線で活躍を続ける青野賢一。今年は『カセットテープ・ダイアリーズ』や『白い暴動』など、人種問題を取り上げた1970年 〜 80年代のロンドンが舞台の映画が公開されているが、これらの作品の時代背景や登場人物たちのファッション、ライフスタイルをより深く理解するためのサブテキストとしてもこの上ない内容になっている。

モダン・ジャズが盛り上がりを見せた1950年代のアメリカでは、戦後のベビーブーマーが牽引するユースカルチャーが勃興してきたが、こうしたユースカルチャーの台頭は他国でも同様に見られた。たとえば、モッズ(Mod)は1950年代の後半から1960年代半ばにかけてロンドンで興ったユースカルチャーだ。1950年代のイギリスにおいては「完全雇用と累進課税制度によって、肉体労働とホワイトカラー、熟練と不熟練とのあいだの所得の格差は縮小していった」(長谷川貴彦著、岩波新書刊『イギリス現代史』)。いわゆる「豊かな社会」の到来である。1960年代は「スウィンギング・ロンドン」と称されるが、この文化面での革命の担い手である若者層を準備したのは1950年代の「豊かな社会」であり、「この若き世代によって、ほぼ全体が労働者階級からなる巨大なマーケットが出現したのである」(同前掲)。若者労働者階級からなるマーケットには、アメリカから輸入されたものも少なくなかった。コカ・コーラ、コミックス、ロックンロールやリズム&ブルース、そしてモダン・ジャズのレコード―こうした新しい文化的消費財は、今や若者の心をしっかりと掴んだのだった。

モダン・ジャズを好み、個性的に生きる

“Mod”が“Modernist”の短縮であることはよく知られているが、これは最初期のモッズたちがモダン・ジャズを好んで聴いていたことに由来する。コリン・マッキネスの同名小説をジュリアン・テンプルが映画化した『ビギナーズ』(原題:Absolute Beginners/1986年)は1958年のロンドン・ソーホーが舞台のミュージカル作品。ジャズクラブのシーンも満載のこの映画(歌手のシャーデーも出演している)で、ポール・リース扮するディーン・スウィフトは、こざっぱりした短髪、スマートなスーツ、細身のタイを身につけてスクーターに跨る。スクーターを除くと、ハード・バップ期のジャズミュージシャンのいでたちを彷彿させるディーンのこの着こなしは、まさに初期モッズスタイルといっていいだろう。

舞台であるソーホーはアフリカ、イタリア、カリブ海諸国からの移民も多く、とりわけイタリア系移民が経営するコーヒーショップや、60年代に入ってからジャマイカンたちがもたらした文化―スカ、ロックステディといった音楽や「ルードボーイ」と呼ばれる人々のスタイル―は、モッズとその後のユース・カルチャーに大きな影響を与えることになる。

先に述べたように、その当時の最先端であったモダン・ジャズ=ハード・バップに傾倒し、ジャズメンのファッションにならったスタイリングでジャズクラブやコーヒーショップを遊び場にしていた初期モッズたちは、彼、彼女たちの親世代とは異なるスタンスで新しい文化を受け止め、消化していった。スーツ以外のアイテムだと、ニットタイやペニーローファー、デザートブーツ、ニットウェア(カーディガンやニットポロなどをスーツのボトムス―プレーンフロントの細身のトラウザーズ―と組み合わせて)が好んで選ばれたが、総じてクリーンでニートな印象を与えるものだった。ようはワーキングクラスらしからぬスタイルである。一方、女性については、ボディ・コンシャスでないものや中性的なアイテム、Aラインの膝下丈のスカート、フラットシューズなどが好まれていた様子だ。

拡大、大衆化するモッズ

1960年代に入ると、モッズの存在はより多くの人の知るところとなる。最初期はモダン・ジャズが参照されたが、この頃になるとリズム&ブルースやファンク、スカ、ロックステディなども聴かれ、またファッションにおいても多様化が見られるようになる。モッズといって必ず引き合いに出される映画『さらば青春の光』(原題:Quadrophenia/1979年)を観ると、そのことがよくわかるのではないだろうか。

舞台となるのは1964年のロンドン。登場人物たちの装いはというと、スーツにM-51、いわゆるモッズ・パーカーもいれば、ポロシャツとLEVI’Sのジーンズにモッズ・パーカーといったカジュアルなコーディネート(「ローギア」と呼ばれる人々)も見受けられる。モッズの対抗勢力であるロッカーズはレザー・ジャケットにジーンズが圧倒的だ。面白いのは、ロッカーズとモッズの足元が乗り物によって規定されるところ。いかついバイクに乗るロッカーズは堅牢なブーツを履く必要があるのだが、モッズはスクーターなのでデザートブーツやチェルシーブーツ、ペニーローファーでもOKなのだ。ちなみに、『さらば青春の光』は、モッズの終焉を描いた作品ではあるが、この映画とポール・ウェラーの在籍したバンド、ザ・ジャムの登場―彼らはシャープなモッズ・スーツをポスト・パンクらしいあしらいで着こなしていた―によって、1970年代後半にモッズ・カルチャーはふたたび脚光を浴びることとなった。

ハード・モッズ、スキンズの登場

『さらば青春の光』にも登場するモッズ対ロッカーズのブライトン暴動以降、60年代も後半に差しかかるころになると、モッズは大きく分けて二つの方向にシフトしてゆく。一つはスウィンギング・ロンドンのメインストリームであるサイケデリックな流れ。ドラッグとの関わり浅からぬサイケデリック・カルチャーは、夜通し遊ぶためにアンフェタミンをキメていたモッズとの親和性もあっただろうし、何よりファッショナブルであることを好むモッズがこの方向にゆくのは自然なことである。こちらに流れたモッズは主にミドルクラスだったという。

もう一つは「ハード・モッズ」と呼ばれる一派。こちらはより若いワーキングクラスが中心でどちらかといえば貧しい層の人々だ。彼らはFRED PERRYのポロやBEN SHERMANのボタンダウン・シャツ、LEVI’Sのジーンズやスタ・プレスト(細身のスラックスタイプ)をブレイシズ(サスペンダー)で吊って短めに穿き、足元にはDr. Martensのブーツ(8ホールの「1460」)、ときにはポークパイやトリルビーハットを被って、というファッションを好んだ。髪の毛を丸刈りにしていたところから、やがて「スキンズ(スキンヘッズ)」と呼ばれるようになるハード・モッズの面々は、自らの出自、すなわち労働者階級をストレートに表しており、足元の選択はまさにその象徴であったといえるだろう。

1965年当時のスキンヘッズのスタイル。ボタンダウンシャツ、サスペンダー、デニム、8ホールのブーツが確認できる

揺らぐ「戦後コンセンサス」

1970年代に突入するとイギリスではスウィンギング・ロンドンの華やかさは後景に退き、保守党と労働党とのあいだを行き来する政権、基幹産業の国営化と民営化の繰り返し、ニューレフトおよびニューライトの台頭、EC加盟、第一次オイルショックで加速するインフレ、失業問題といった事柄が生じてくる。いわゆる「戦後コンセンサス」が揺らぎをみせるのである。そうした時代にあって、音楽はどのように変化していったかといえば、サイケデリックな流れはアンドロジナス的ファッションのグラム・ロックに向かい、イギリス北部の若い工場労働者のあいだでは、ロンドンのモッズの音楽的嗜好をよりディープに突き詰め、独自のダンス・カルチャーとレア盤信奉を生んだアンダーグラウンド・ムーブメント、ノーザン・ソウルが流行。このシーンには、モッズ的なファッションの者もいたようだが、アクロバティックなダンスをするため、オックスフォード・バグスと呼ばれる太めのトラウザーズにスポーツシャツやニットといったカジュアルなスタイリングの者も多く、一括りにできない多様性が生じていたという。

ロンドン・パンクの精神性

ニューヨーク・パンクに少し遅れて1976、7年に花開いたロンドン・パンクについては改めて申すまでもないだろうが、前述のような国内外の情勢に加え、プロテスタント系強硬派が首相となった北アイルランドでのカトリック弾圧による両者の対立激化(いわゆる北アイルランド問題)、アフロ・カリビアン系移民の祭典「ノッティング・ヒル・カーニバル」で1976年に起こった暴動(ザ・クラッシュの『White Riot』はこの暴動に立ち会っていたジョー・ストラマーが書いた曲)をはじめとする人種差別問題などが顕在化したことも影響していた。音楽的には、ポップ化、商業化したロックにNOを突きつけ、自らの手で自らの音楽をやるというD.I.Y.精神にあふれたロンドンのパンク・ロックは、1970年代の政治、経済、思想、社会問題を背景に生まれ、またそれらと共振し、若者たちの行動指針にさえなったのである。

ここまで、1950年代から70年代までのイギリス(主にロンドン)の音楽とファッションを軸にしたユースカルチャーを駆け足で辿ってみたわけだが、1960年代までは大別すると二つの傾向が見いだせる。すなわち、一つは自らの出自や階級から逸脱した新たなスタイルを打ち出すムーブメント。初期モッズやそこから派生したサイケデリックがこれにあたるだろう。もう一つはハード・モッズからスキンズに至る流れで、こちらは自分たちがワーキングクラスであることをより濃く示すような着こなしが目につく。ロンドン・パンクの頃になると、既成の価値観や慣習―国や政府、階級、人種や性差別問題など―を破壊するアナーキーな態度が、音楽やファッションを通じても表現されるようになった。既製品に価値を見出すことをせず、カスタムや自作を重んじたパンクの根本的な考え方は、消費を前提としたそれ以前のカルチャーやムーブメントとは明らかに一線を画するものであり、このことは国家や個人の経済的状況とも密接に関係しているのである。

ユースカルチャーに欠かせないUKブランド

ポスト・パンク期には2トーン・スカの登場や、先に述べたモッズ・リバイバルでスーツ・スタイルが再び脚光をあびる一方、パンクのD.I.Y.精神とテクノロジーが結びついて音楽が多様化するが、イギリスのユースカルチャーにおいては、変化を遂げながらも脈々と続くモッズを起点としたカルチャーの息の長さと、思想としてのパンクの強烈なインパクトに改めて驚かざるを得ない。そしてそのいずれにおいても存在感を示したのはDr. MartensとFRED PERRYというイギリスブランドであったことは覚えておいていいだろう。なお、本稿では文字量の関係から、イギリスのサブ・カルチャーにおいて重要なフットボール(サッカー)については触れられなかったが、興味のある方はこれまで述べてきたユースカルチャーとフットボールの関連をひもといてみるのも面白いかもしれない。2020年10月16日より公開の映画『アウェイデイズ』は、フットボールを愛し、スポーツウェアをタウンウェアとして着るようになった1970年代終盤の若者たち=カジュアルズについて描いた作品で、大いに参考になりそうである。

Profile

青野賢一(あおの・けんいち)

1968年東京生まれ。セレクトショップ、ビームスのクリエイティブディレクターとして主に社外のクライアントワークに従事し、音楽部門BEAMS RECORDSのディレクターも務める。1987年よりDJ、選曲家活動を開始。USENの店舗向けBGM配信アプリ「OTORAKU」にプレイリストを提供している。また、ファッション、映画、音楽、文学、美術を横断的に論ずるライターとして「CREA」「ミセス」「音楽ナタリー」などに連載を持つ。

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