時代が新しい音楽を作りだし、音楽は新しいファッションスタイルを生む。私たちが普段なにげなく身にまとっているアイテムの一つひとつは、そんな時代の落とし子とも言える。時代を振り返り、音楽とファッション、そしてシューズに焦点をあてる本企画。第4回は、USのヒップホップ史を辿った前回に続いて、日本のヒップホップシーンにフォーカス。

ニューヨークのストリートで生まれたヒップホップという新しい文化が日本に広まっていく過程では、ヒップホップのファッション的な側面がその受容に大きく寄与し、異国で生まれたカルチャーを浸透させる媒介となっていた。タイニー・パンクスやブッダブランド、ECD、MUROといった黎明期を作ったパイオニアであるラッパー、DJたちの活躍から、KOHHやKANDYTOWNといった新世代の登場までの略史とそこに並走するストリートファッションの系譜、そして本場アメリカとの相関関係の変化を、ライターの渡辺志保が綴る。

ヒップホップを輸入した伝道師たち

ヒップホップ発祥の地であるアメリカがそうであったように、日本でもまた、ヒップホップカルチャーの広まりとファッションとの間には非常に濃い関係性がある。

日本初のラップ楽曲は何か? また日本において最初にヒップホップカルチャーが持ち込まれたのはいつか? という点には諸説あるものの、やはり日本のヒップホップ黎明期のインパクトとしては高木完と藤原ヒロシによるTINY PUNXの誕生が大きいことは言うまでもない。その後、日本最初のダンスミュージックレーベルであるMAJOR FORCEを立ち上げたのも彼らだ。当時を知る人々であれば誰もが口を揃えるように、高木・藤原は当時から若者のカルチャーを牽引する存在であり、パンクロックに魅せられた二人がDJカルチャーなどを通して惹かれていったのがヒップホップだった。

アメリカでは当時、ブレイクダンスに興じるBボーイたちがPUMAのスニーカーを履き、Run-D.M.C.がアディダス賛歌『My Adidas』をリリースしたこともあり、ヒップホップファッションの正装=スニーカーという図式がはっきりと描かれた。

東京カルチャーの最先端を牽引する高木と藤原によってニューヨークから輸入されたヒップホップカルチャーは、ラップやDJ、ブレイクダンスやグラフィティといった表現方法とともに、そのファッションスタイルも日本に持ち込まれていったのだった。

そして1990年代に入ると、日本のヒップホップシーンにおいてもたくさんのアーティストやラップグループ、DJたちが登場する。1996年にはラッパーのECDが主催となって伝説的なライブイベント『さんピンCAMP』が開催され、日比谷野外大音楽堂をヒップホップファンが埋め尽くした。街に目を向けると、ラッパーでDJのMUROは渋谷に自身のショップStill Diggin’とSAVAGE!をオープン。音楽面だけでなく、ファッションスタイルも含めて多面的にヒップホップカルチャーを体現していった。

加えて、当時次々とヒットアルバムをリリースしていたブッダブランドやキングギドラ、ライムスターらが着ていたオーバーサイズのジャケットやデニム、スニーカーにTimberlandのブーツといった同時期のニューヨークで流行っていた着こなしもまた、彼らファンたちに大きな影響を与えていった

裏原カルチャーと国内ストリートブランドの興隆

1990年代の後半、日本のファッション界にいわゆる「裏原ブーム」が訪れる。多くのドメスティックブランドが立ち上げられ、それはストリートを主戦場としていたヒップホップシーンとも地続きで繋がっていく。なかでも特筆すべきは1999年にSHAKKAZOMBIEのOSUMIとHIDE-BOWIEことIGNITION MANが立ち上げたブランドSwaggerだろう。

メジャーデビューシングル『手のひらを太陽に』(1996年)リリース当時のSHAKKAZOMBIE。ブックレット用に取り下ろした写真のアザーカットを、本記事のためにIGNITION MAN本人が提供してくれた

「最高級のストリートウェアの提案」をテーマに、ラフなイメージのヒップホップファッションに、洗練されたエッセンスを加えたのがSwaggerだった。彼らの斬新なスタイルは海外からも注目され、特にシカゴのラッパー、ルーペ・フィアスコとのコラボレーションは話題を集めた。

一方で、同時代にデビューしたラップグループのNITRO MICHROPHONE UNDERGROUND(以下、NMU)の存在も大きかった。渋谷・宇田川町のクールでタフな空気感をそのまままとったNMUのメンバーは、そのファッションセンスも際立っており、個々のメンバーのスタイリングにも注目が集まるとともに、自らファッションブランドNITROW(のちにNITRAIDと改名)を立ち上げる。そして彼らは、真っ白なNIKE「AIR FORCE 1」で“正装”し、AIR FORCE 1のコラボモデルや「DELTA FORCE」の別注モデルなどを発表していった。

ファッションが先駆けたアメリカへの逆輸入

1990年代後半から一気に加速していった国内におけるストリートファッションの流れにおいて、とりわけ大きな存在感を放ったブランドは、NIGO率いるA BATHING APEだろう。今も世界中のトレンドセッターから愛されるブランドであるA BATHING APEも、スニーカーラインの「BAPE STA™」を立ち上げファレル・ウィリアムズらともコラボを行うなど、インターナショナルにそのユニークさを発信していった。

また、2000年代前半は、ブッダブランドのNIPPSがデザインを手がけたnuts AND bonesやDJ HAZIMEが立ち上げたDOUBLE HARDなど、日本のヒップホップシーンからいくつもファッションブランドが誕生した時期でもあり、アーティストが集うクラブやライブの現場、そしてファッションとより密接に関わりあい、また、そうしたブランドを取り扱うショップも一気に増えていった時期でもあるということも記しておきたい。また、こうした興隆を経て、ヒップホップを取り巻くファッションのトレンドは、海外から輸入するものだけではなく、ドメスティックなコミュニティからの発信力を増していったのだった。

アメリカと日本、徐々にフラット化する関係性

2010年代に入ると、稀代のカリスマとしてKOHHの名が一気に広まっていった。全身をタトゥーで覆い、「適当な男」と自分を表現しつつ、その一方ではコレクションモデルとしてデビューしてランウェイを歩くなど、これまでの日本のラッパーが成しえなかったことを次々と達成し業界を驚かせた。世界的なブレイクとなった韓国人ラッパーのキース・エイプとの楽曲『Ig G Ma』でも、KOHHが堂々とAIR FORCE 1にシャウトアウトを送る一節が強烈に響く。落合宏理によるFACETASMとのコラボや、KOHH自身が牽引するクリエイティヴ集団DOGSとしての活動など、いちラッパーとしてだけではなく、時代を映す表現者としてもそのクリエイティヴィティを発揮しているのは周知の通り。

そして、国内の音楽シーンにおいてヒップホップアーティストの存在感が増すにつれ、アーティストとスニーカーブランドのコラボレーションも格段に増えていく。KANDYTOWNとReebok CLASSIC、Friday Night PlansとJJJ、STUTSとadidasなどといったコラボレーション企画は、それぞれオリジナルの楽曲も生まれるなど多角的なプロモーションも実現している。

また、アメリカでも2010年代に入るとA$AP・ロッキーやトラヴィス・スコットら、新世代のカリスマラッパーらが台頭し、ラッパーとファッションブランドの蜜月具合はよりディープなものになっていった。彼らはdoubletやBlackEyePatchといった日本のストリート・ブランドの服をも着こなすなど、フラットなセンスを提示した。

世界に目をやると、A BAGHING APEのアイテムは今も海外のラッパーに大人気で、カニエ・ウエストはしばしば日本を訪れ、岡山のデニム工場や村上隆のアトリエを訪れていた。リル・ウーズィー・ヴァートやメーガン・ザ・スターリオンら、日本のアニメやゲームからインスピレーションを受けているラッパーも数え切れないほど存在する。輸入と模倣からスタートした日本のヒップホップカルチャーだが、現在形成されている本場アメリカとの相関関係を眺めるにつけて、今後、さらに我々をワクワクさせてくれるようなプロジェクトが生まれていく気がしてならない。

Profile

渡辺 志保(わたなべ・しほ)

音楽ライター。広島市出身。主にヒップホップ関連の文筆や歌詞対訳に携わる。これまでにケンドリック・ラマー、A$AP・ロッキー、ニッキー・ミナージュ、ジェイデン・スミスらへのインタビュー経験も。共著に『ライムスター宇多丸の「ラップ史」入門』(NHK出版)などがある。block.fm「INSIDE OUT」などをはじめ、ラジオMCとしても活動中。

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