シューズをテーマにオリジナル・アートワークを創作する企画「アート・オブ・シューズ」第13弾、今回登場するのはバイオアーティストの齋藤帆奈。VANSのクラシックシューズ「SLIP-ON」を鮮やかに染めているのは、なんと生きた粘菌たち。え、粘菌てなに? そもそもバイオアートって?! 自由気ままに移動する粘菌が生み出す「カラーが移り変わるシューズ」とは。偶発的ゆえ奇想天外に展開される、進化の過程を追った染色タイムラプス動画も必見!

「日本で発見されているだけでも数百種の粘菌がいるんですよ」

齋藤帆奈はそう言って、一冊の重厚な図鑑を取り出した。表題は『日本変形菌誌』。今年の4月に上梓されたばかりの粘菌学者・山本幸憲によるこの本は、これまでに日本で発見されてきたすべての粘菌を一望できるという1135ページに及ぶ大著である。

「粘菌って名前に菌がついてるけど実は菌類じゃないんですよね。むしろ菌を食べる存在なんです。それによって物質の分解を遅らせている。だから、ある種、粘菌は自然界のバランサー的な存在で、『あいだ』の存在でもあるんです。それでいうと靴もまた自分と地面との『あいだ』の存在ですよね。だから、今回は『あいだ』の存在同士をぶつけてみたんです」

粘菌とはとかく不可思議な存在で、環境に合わせて他の生物を捕食する動物のように振舞うこともあれば、時に一箇所に静座し植物のように振る舞うこともある。明治生まれの博物学者・南方熊楠が、このことから粘菌を生と死が混在する中間体的な存在だと考え、その類い稀なる生態の研究に没頭した、というのは有名な話だ。日本が誇る博覧強記をして虜にしたこの粘菌と齋藤が出会ったのは、今から4年前のことだった。

「もともとは多摩美のガラス工芸科にいたんですけど、授業でバイオアートっていう領域があることを知って、おもしろそうだなって思ったんです。それで大学卒業後は早稲田のmetaPhorestに参加してバイオアートに取り組むようになり、そのなかで粘菌とも出会いました」

粘菌が定着せずに移動を繰り返すことで、常に色が変わっているのがわかる。粘菌の移動スピードに適した撮影間隔は1 〜 10分に1フレームくらいだそう。今回は1分に1フレームで撮影を行った

バイオアートとは主に生物学の知見を利用し、生きた素材を媒体とする芸術表現のこと。

「バイオアートの世界では粘菌はアイドル的存在というのもあって、しばらくは手を出さずにいたんですけど、あるきっかけがあって実際に粘菌を培養してみたら、そのリズム感が自分に合ってるなって感じたんです。さらに自ら野生種の粘菌を採集するようになると、ますますそのおもしろさにのめり込むように。今ではちょっと自然のあるところなら必ずひとつは粘菌の痕跡を見つけられます。子どものころ、野山で遊んでいたときには一切知覚できなかったのに、実は粘菌は至るところにいたんだなって思うとおもしろくて。知覚できない領域のものが知覚世界に入ってきたような気がしていて、そういう意味でも粘菌は『あいだ』の存在なんです」

枯葉の裏側などに粘菌が這ったあとを探し、その周辺から採取する。1時間ほどあれば見つけられるという

制御しきれない“誤差”にこそ発見がある

齋藤が今回モチーフに選んだのはVANS「SLIP-ON」だ。1979年に登場し一世を風靡したこのモデルの背景には、アメリカ西海岸のストリートカルチャー、とりわけスケートボードカルチャーの文脈が色濃く存在している。実際、当時真っ先にSLIP-ONに熱狂したのは南カリフォルニアのスケーターたちだった。しかし、発売から40年を経た現在、SLIP-ONはAUTHENTICと並ぶVANSの人気モデルとしてジャンルを超えた幅広い層に愛用されており、カジュアル、フォーマルを問わず現代人の足元を支える、世界的な定番商品となっている。今回、齋藤が「昔からよく履いている」というVANSを選んだのもまた、VANSの有するストリートの文脈を意識してのことではなかった。

VANS SLIP-ON TRUE WHITE/¥6,050

選んだ理由としては、その機能的に洗練されたプレーンなフォルムが粘菌を際立たせると考えたから。とはいえ、VANSのキャッチコピーである「OFF THE WALL」が「普通じゃない、変なやつ」を意味するスラングだということを踏まえるなら、生物界きっての「OFF THE WALL」である粘菌とのコラボレーションは、生命と非生命の垣根を超えた「変なやつ」同士の文化的邂逅だともいえそうだ。果たして、その記念すべき邂逅はどのようにして行われたのだろうか。

「粘菌はオートミールを好むんですけど、今回はあらかじめ粘菌が嫌いではない着色料を使った色付きのオートミールで複数色の粘菌を培養しました。そうすると、粘菌の移動した部分が色づいたように見えるんです。今回はその粘菌たちをスリッポンのかかとの部分に付着させて、同時にフロント部分にオートミールを入れてつくった寒天培地を塗ることで移動を促し、スリッポン全体を粘菌が着色していくように仕掛けたんです」

実際に粘菌によって“着色”されたSLIP-ONは、どこかタイダイ柄を連想させるようなポップで抽象的なデザインとなっていて、そのままプロダクトとして販売されていてもなんら遜色がなさそうに見える。だが、これが綿密に計算されたデザインワークによるものかといえば、そうではない。手法としてはジャクソン・ポロックなどのアクションペインティングに近いだろうか。偶然性を積極的に取り入れるこうしたアプローチは、ファッションの文脈においてはマルタン・マルジェラなどが先駆的に採用していたことで知られている。

「マルジェラは90年代に服を土の中に埋めたり、服の上でカビを培養したりしていましたよね。偶然性を取り入れるということでいえば近い部分はあると思います。ただ、私にとってより関心があったのは、すでに定番となっていて、透明性が高いSLIP-ONのようなプロダクトが持つ意味が、別の存在によって変質していくということでした」

そうした変質を引き起こす際に重要となる概念は「予測誤差」だ。粘菌は生物である以上、その行動を完全に予測し、制御することはできない。今回の制作の過程にもいくつかの予測誤差があったそうで、実際、そのために取材日は予定よりも2週間ほど後ろにズレ込んだ。

「最初、踵に付着させた粘菌たちがすぐに、帰って行くみたいに土の方に移動してしまったんですよ。その後、環境を調整して、靴に水を垂らしたり、照明を暗くしたりすることで、ようやく靴の上を移動してくれるようになったんですが、ただ移動していく上でも思った方向とは違う方向に進んでいきがちで。予想外なことが多く起こりましたね」

自宅の一部が制作・研究・撮影スペースになっている。土には他のプロジェクトで培養していた粘菌が残っており、それらがつま先側から登ってきたのも予測誤差だ

予測しえないということは、必ずしもネガティブなことではない。それは私以外の他者が世界に存在しているという証であり、あるいはこの世界がまだまだ驚きに満ちているという証でもある。とはいえ、どうせ予測しえないならなんでもありなのか、といえばそれほど投げやりな話ではない。アーティストである一方で研究者としての顔も持つ齋藤によれば、重要なのは“せめぎ合い”だという。

「完全に制御することはできないけど、じゃあ一切制御しないのかといえばそれも違うんです。私自身の関心も、生物を科学的、工学的に定量化して制御するということを突き詰めていった先に、果たしてそこにはどんな誤差が残るのかということにある。その点、アートにおいてはズレが割と許されてしまうんです。だから、逆にズレが許されない研究の場で表現を詰めていくということを今は考えてますね」

果たして、今回の制作を通じて得た予測誤差とはどのようなものだったのだろうか。

「粘菌の動きを追ってくと、あ、このサーフェスはすごい好きなんだとか、ここのつなぎ目は超えるのが大変なんだとか、粘菌の視線を通じてSLIP-ONのフォルムの意味が自分にとっても段々と変化していったんですよね。今まで履いていただけでは気にも留めなかった細部のデザインにまで意識が及ぶようになって、改めてフォルムを再発見していくことができたのはとてもおもしろい体験でした」

自然を“保護”するのではなく、自然に介入する“他者”としてせめぎ合う

実は齋藤はアーティスト、粘菌を扱う研究者という顔の他にも、UNITED ARROWSやADAM ET ROPE’といった人気ブランドのモデル、バンド「ナインティーン」のヴォーカリスト、さらには雑誌『現代思想』誌に論考を寄稿する文筆家などの、複数の顔を有している。文理を超えた幅広い領域でマルチな活動を行なっている理由は「異なるフレームの知見がつながったときに喜びを感じる」から。粘菌のように“移り気”な齋藤が今最も関心があるのは環境問題にまつわる思想だという。

「今話題になっているサステナビリティとかエコロジー運動って、特定のイデオロギーの影響を受けている側面があると思うんです。そこでは手つかずの自然というものが存在すると信じられている。サイエンスライターのエマ・マリスによれば、それは北米に特有のイデオロギーで、実は西洋のなかでもかなり特殊な考え方のようなんです。ウィルダーネスと呼ばれるような人間の手が一切入っていない自然を理想に、各地に国立自然公園がつくられて、結果的に先住民を追い出すようなことになってしまった過去があったりする」

そうした「手付かずの自然」とは異なる自然観に基づいて運営されているのが、日本の例でいえば里山だ。

「人間の介入を積極的に認めることで、自らの生存も含めた生態系を維持していく。日本の里山なんかはその一例ですよね。そういう意味で、大事なのは自然を“保護”することではない気がします。日本の自然環境って放っておいたらどんどん雑草が生えてきて、人間の居住環境が脅かされていくんですよね。常に脅かされているからこそ境界を調整し続けていかなきゃいけない。そうした日々の実践を通じた“せめぎ合い”が大事なんじゃないかな」

自然と人工を分かつ境界線は、あらかじめ定められているものではなく、常にせめぎ合いを続けるなかで動的に揺れ動いている。それこそ熊楠が生と死を往還する存在だと見立てた粘菌のように、齋藤の制作もまた芸術と科学、見るものと見られるもの、ひいては人間とそうでないモノたちのあいだを往還し、せめぎ合う実践だといえるだろう。あるいはVANSがそうであったように「OFF THE WALL=変わり者」はいつだって境界を掻き乱すゲームチェンジャーでもある。

果たして、移り気な“粘菌つかい”は今後いかように見通しのつかなくなったゲームをチェンジしていくのだろうか。先行きは明るくない。たとえば環境問題に関しては、あらゆる数値が絶望的な未来を予測している。しかし、今回の取材日が2週間ズレ込んだように、予測には必ず「誤差」が生じる。境界上のせめぎ合いにおいて生じるその「誤差」とは、そこで新しい可能性が拓かれていくことを可能にする「余白」でもある。

Profile

齋藤 帆奈(さいとう・はんな)

1988年生まれ。多摩美術大学工芸学科ガラスコース卒業、東京大学大学院学際情報学府博士過程在学中。2013年よりmetaPhorest (biological / biomedia art platform)に参加。理化学ガラスの制作技法によるガラス造形や、生物、有機物等を用いて作品を制作している。主なテーマは、私たち自身がその一部でありつつ、観測者でもあるものとして「自然」や「生命」を表現すること。生体組織・バクテリア・細胞・生命プロセスといった生物学の知見、技術を援用したバイオアートを展開。2020年に『FRaU』エシカルアワード受賞。モデル、ミュージシャン、文筆家など多彩な活動を展開している。

Instagram @hannasaito

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