ブランドを代表するアイテムのルーツを紐解き、その魅力の本質に迫る連載企画。シューズ史の1ページを担ってきた数々の名プロダクトを振り返りながら、シューズの大辞典「アイコニックアイテム」を構築していこう。今回のアイテムは、世界中で注目を集めているスニーカー、NIKE「DUNK」。本格的なバッシュとして誕生したDUNKはNCAAの選手やオーディエンスに愛され、ストリートでは耐久性が注目されて多くのスケーターが愛用し、これまでにさまざまなストリートカルチャーと融合してきた。大人世代のスニーカーファンにとっては“裏DUNK”や“CO.JP”が生み出したムーブメントは語り草で、若い世代のスニーカーヘッズにとっては入手困難を極めるモデルというイメージが定着している。ここでは1985年のオリジナル発売から現在に至る歴史を振り返り、世界的なDUNKブームの理由を改めて紹介しよう。

NCAAのチームカラーをサンプリング、バッシュの常識を変えた「DUNK」

バスケットボールシューズとしてデザインされたオリジナルのDUNKは1985年に誕生した。同時期にラインナップした「AIR JORDAN 1」などを彷彿させるアッパーデザインを採用するが、ミッドソールにはエアバッグが搭載されていない。DUNKは全米でNBAに勝るとも劣らない人気を誇るNCAA(全米大学体育協会)に所属する強豪バスケットボールチームに支給し、更なるシェアの拡大を狙ったプロダクトだ。

1985年当時のDUNKには“BE TRUE TO YOUR SCHOOL.(自分の学校に誇りを持て)”というキャッチコピーが掲げられた

例えばホワイトとオレンジのカラーブロックは、シラキューズ大学のバスケットボールチーム“オレンジ”を意識したもの。国内のプロスポーツ観戦と同様に、シラキューズ大学のオーディエンスは試合を観戦する際にオレンジのアイテムを身につけるのがお約束だ。そうした背景によって、コートに立つ選手が着用するカラーのバッシュが実際に発売されたら買わずにいられなくなるのはスポーツを愛する人なら共感できるハズだ。

さらにバッシュといえばホワイトが当たり前だった時代に、大胆なチームカラーを落とし込んだカラーブロックが映えるDUNKは非常に斬新だった。DUNKが発売されて数年後に複数のスポーツメーカーから鮮やかなカラーのプロダクトがラインナップしている事実からも、当時のスポーツファンが受けたインパクトの大きさがうかがえる。ただ、かつてないカラーのバッシュには賛否両論があったようで、発売当時は多数の売れ残り品が出てしまった。DUNKのセールス自体は好調だったものの、流通量の多さゆえに最終的にワゴンセールになったカラーも少なくなく、スポーツ界隈で巻き起こったDUNKのムーブメントはここで終焉するようにみえた。しかし、ストリートカルチャーと出会いを果たしたことで、第二次のムーブメントが起きることになるのだ。

当時は珍しい大胆なカラーリングが、スポーツファン以外の人々も魅了するきっかけとなった

バッシュとストリートカルチャーを結び付けたスケーターたち

ワゴンセールになっていたDUNKに目を付け、バッシュとして誕生したスニーカーをストリートのアイコンへと育て上げたのは当時のスケーターたちだ。スケートボードを楽しむ人ならわかる通り、多くのスケーターにとってスニーカーは消耗品で、優先すべきは耐久性と価格だろう。その点、DUNKはスケーターにとって“選ばない理由がないスニーカー”だった。アッパーには耐久性に優れるレザー素材を使用し、ダメージを受けやすい部分やホールド性が求められる箇所に補強パーツを装着。

前足部のトゥガードや足首を凹ませたフレックスノッチによって屈曲性が向上、素材は耐久性のあるレザーを使用

さらにDUNKの足先周りには当時のバッシュとしては先端技術である“フレックスノッチシステム”が採用されていたので、それまでのレザー製スニーカーと比べてもシンプルに履きやすいと感じていたかもしれない。

アウトソールのピボットパターンによりプレー中もクイックな動きができる

加えてDUNKのフラットなソール形状や耐久性のあるラバー素材、グリップを向上させるアウトソールパターンも都合がよく、エアバッグを搭載していないミッドソールも、着用時のダイレクト感を演出してくれる。

こうした特性を持つスニーカーがワゴンセールで売られていたのだから、当時のスケーターが注目するのは当然の流れだった。こうしてNCAAを意識してデザインされたDUNKは、ストリートシーンに欠かせない存在になっていく。2000年に発売された「DUNK LOW PRO B」を経て展開されたスケートボードブランド、NIKE SBにとってDUNKが欠かせない存在であり続けているのも、ワゴンセールで手に入れたDUNKを履き潰していたライダーがレジェンドと呼ばれる存在になっていくバックストーリーがあるからだ。

第三次DUNKブームは止まらない

国内におけるDUNK人気の歴史は古く、90年代にストリートを席巻したLevi’s「501」にオールドスクール系バッシュを合わせるアメカジブームに、DUNKは既に主役のひとつだった。中でもネイビーとイエローを落とし込んだ「ミシガン」の人気は圧倒的で、店主の売る気がないオーラを醸し出す高額プライスタグがぶら下げられたミシガンが、古着屋の看板として飾られていたのを思い出すファンもいるだろう。

アメカジブームの90年代、特に人気を博したカラー「ミシガン」

そして1999年の春から展開されたカレッジカラーの復刻DUNKは、そうした人気を加速させ、多くのスニーカーファンの物欲を煽るものだった。王道のカラーに加え、その反転カラーである“裏ダンク”を原宿(渋谷)と上野という限られたエリアで展開したマーケティング戦略は復刻DUNKに希少価値を生み出し、ハイテクスニーカーブームに代わるスニーカートレンドを創出した。今では国内だけでなく海外のスニーカーヘッズにも“SHIBUYA”と“UENO”はスニーカーの聖地として認知されている事実は、今さら説明する必要はないだろう。

2021年1月7日より、ABC-MART GRAND STAGEにて待望の新モデルが発売

そして今、世界は第三次DUNKブームの真っただ中だ。このきっかけはスニーカーシーンに大きな影響力を持つアーティストのひとり、トラヴィス・スコットがDUNKを履いたからだと伝えられている。NIKEと契約していた時代のカニエ・ウェストが「AIR YEEZY」を履いたときにハイカットスニーカーブームが巻き起こったように、現代的なスニーカーブームの発生源の多くはInstagramに投稿されるファッショニスタのオフショットであり、日々投稿される新作モデルの情報がファンの感性を刺激し続けている。Instagramで注目を集める人々がDUNKを愛し続ける限り、DUNK人気が衰えることはないだろう。

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