Story

Shoes × Detail

アイコニックアイテム流行に左右されることのないスニーカー界の大定番 ― NIKE 「AIR FORCE 1」

Text Hiroshi Sato
Illustration Atsushi Ave
Edit Momoko Naito

ブランドを代表するアイテムのルーツを紐解き、その魅力の本質に迫る連載企画。シューズ史の1ページを担ってきた数々の名プロダクトを振り返りながら、シューズの大辞典「アイコニックアイテム」を構築していこう。
今回のアイテムは、1982年に発売され現在も多くの復刻モデルがラインナップするNIKE 「AIR FORCE 1」。その歴史を紐解きながら、流行に左右されない人気の秘密に迫っていく。

憧れのバスケットボールシューズとして登場

ブルース・キルゴアがデザインした、AIR FORCE 1

多くのスニーカーファンにとって最も身近なモデルのひとつであり、スニーカー史上初のエア クッショニングを採用したバスケットボールシューズであるNIKE「AIR FORCE 1」。これまでに発売されたバリエーションは3000種を超え、今も多彩な復刻モデルやディテールにアレンジを加えたアップデートモデルが発売されているのはご存知の通り。そのオリジナルは1982年に発売されたバスケットボールシューズで、ブルース・キルゴアが手掛けたオールドスクール感溢れるデザインは、定番であると同時に、時代のトレンドアイテムとしても注目を集め続けている。

エアクッションを初搭載したそのシューズの性能は、ノンエアモデルに比べクッショニングで30%、反発力で20%も向上したという。この画期的なバスケットボールシューズはモーゼス・マローンやジョージ・ガービンなど、当時の有力なNBAプレイヤーが着用している。為替レートが異なる関係で、当時の販売価格は現在店頭に並んでいるAIR FORCE 1と比べるとかなり割高に設定されていた。NBAで躍動するプレイヤーが履くAIR FORCE 1は当時のバスケ少年にとって、文字通りの憧れの逸品だったのだ。

現代的な復刻スニーカーブームのルーツに

歴代のNIKEロゴがプリントされたモデルも存在する

AIR FORCE 1がカジュアルシューズ(スニーカー)として注目されるようになった経緯を語るには、北米メリーランド州ボルチモアの“スリーアミーゴズ”にまつわるエピソードが欠かせない。今でこそ様々な復刻モデルを展開するNIKEだが、その根本は世界のスポーツシーンを牽引するカンパニーだ。AIR FORCE 1が発売された当時は最新モデルこそが“売り”であり、生産が終了した旧モデルを復刻する必要はなかったのである。ところがボルチモアに店舗を構える3社のスポーツショップは、AIR FORCE 1のデザインにスニーカーとしての価値を見出していた。最新モデルではなくともAIR FORCE 1を仕入れれば売れると確信した彼らは、NIKEにAIR FORCE 1を再販売(復刻)するように交渉を開始する。

結論からいえば度重なる交渉の結果、NIKEの担当者が折れるかたちで1985年にAIR FORCE 1の再販売が決定する。あまり知られていないが、AIR FORCE 1はNIKEが初めて再販売したモデルなのである。NIKEは復刻の条件として1カラーごとに1200足を発注しなければならないハードルを設定したが、ボルチモアのショップは1200足を問題なく売り切るだけでなく、毎月ニューカラーを販売する“COLOR OF THE MONTH”というキャンペーンを展開して成功を収めたのだ。魅力的なデザインのスニーカーを復刻して、オリジナルにはないファッショナブルなカラーバリエーションを展開するムーブメントは、現代のスニーカーブームにも大きな影響を及ぼしている。その功績から3つのスポーツショップはスリーアミーゴズと讃えられ、ボルチモアはAIR FORCE 1の聖地として今もコアなファンに親しまれているのだ。

白さこそが成功の証

誕生35周年時に、著名人が白のAIR FORCE 1を用いて祝福

AIR FORCE 1とファッション、とりわけストリートカルチャーとの蜜月な関係は、“WHITE ON WHITE”とも呼ばれるオールホワイトモデルの功績が大きい。1990年代のハイテクスニーカーブーム時においても、AIR JORDAN 11やAIR MAX 95といった最新のハイテクスニーカーと同様に、真っ白なAIR FORCE 1は人気モデルであり続けた。

その源流は1990年代のヒップホップシーンまで遡る。この時代、ヒップホップカルチャーを育んだニューヨークのハーレム地区は急速に治安が改善されつつも、依然として貧富の格差は解消されず、経済的に恵まれていたラッパーはほんの一握りに過ぎなかった。その成功したラッパーの象徴が、オールホワイトのAIR FORCE 1なのである。僅かな汚れすら無い真っ白なAIR FORCE 1は、“次々と新品スニーカーが買える”財力の証であり、成功者のアイコンでもあった。ベースボールキャップでお馴染みのNEW ERAに貼られたサイズシールを剥がさずにかぶる文化も、“俺はいつも新品のキャップをかぶっている”というメッセージが込められている。当時はイベントの度に新しいAIR FORCE 1を履くと公言していたラッパーも存在し、多くの少年の憧れの的となった。

ロンドンのラッパー、AJトレーシー

その成功者たちのコーディネートは、日本のスニーカーキッズを大いに刺激する。その背景には、当時のストリートファッション誌を席巻していたハイテクスニーカーは異常なほどのプレ値で取引され、小遣いが限られるスニーカーキッズには手の届かない存在だったのに対し、オールホワイトのAIR FORCE 1は運が良ければ街中のスポーツ店にて定価で購入することができたという、現実的な理由も影響していた。

大げさな表現になるが、真っ白なAIR FORCE 1は財力に余裕のある大人だけでなく、若者の味方として認知されていたのである。そうして幅広い世代に愛されたAIR FORCE 1は、日本のスニーカー文化に欠かせない定番モデルとしての地位を築いたのだ。

Related Story 関連記事